大阪地方裁判所 昭和42年(ワ)764号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕三、被告緑風観光の責任
被告緑風観光がB車の運行供用者であることは、その自認するところであるから、同被告に免責事由がないかぎり自賠法三条により、本件事故から生じた原告の損害に賠償する義務があるというべきである。そこで以下同被告の免責の抗弁について判断する。
<証拠>によると、次の事実が認められる。
(1)、被告緑風観光の運転手訴外河野は、大阪市南区難波から原告を乗せて関西汽船の弁天埠頭前を経て同市港区の天保山へ行く途中、本件事故現場にさしかかつた。右現場は、T字型交差点で東西路は、巾員約六〇メートルの全面舗装された道路で、中央分離帯が設けられ、その南側にセンターラインがあり、センターライン付近にはコンクリートの塊が散乱していて拳大のものから大きなものは約三〇センチメートル平方、高さ一五センチメートル平方、高さ一五センチメートル位のものがあつた。なお事故当日は、日が照りつけた暑い日であつた。訴外河野は、対向してくるA車を三〇〇ないし四〇〇メートル前方に発見し、かつ道路上に右コンクリートの塊があることを知つていて、B車を時速三〇ないし四〇キロメートルで進行させ、A車の進行した後、現場で右折して南側の関西汽船のりば前へ出ようとした。この右折態勢に入るについて、停車する意思はなく右速度のまま進行しA車との間隔を一メートル以内に近づき、センターライン付近ですれ違つたとたん、A車がコンクリートの大きな塊をその右後輪で轢き、砕けた破片が飛び散つて車のフロントガラスにあたり、粉々にこわれ車内に散乱した。そのため訴外河野は、反動的にブレーキをふみ、急停車した。B車の客席にいた原告は、この衝撃で運転者の方に急に前のめりになり負傷した。
(2)、A車を運転していた訴外工藤は、センターライン寄りに四〇キロメートルを超える時速で進行していて、何か外のことを考えていたため、現場付近のコンクリートの塊があることを車輛で轢くまで知らず、また対向してくるB車の進行もすれ違うまで気づかなかつた。なお、訴外工藤は、本件事故当日の昼ごろ現場を通過したがその際はコンクリートの塊がセンターラインから北側へ二メートルあたりにあつたことを現認している。
他に右認定を動かしうる証拠はない。そこで右認定事実によると、本件事故が、見通しのきわめて良い道路であるにかかわらずA車の運転手工藤の前方不注視による過失のため惹起されたものであることは明らかである。しかしB車の運転手河野の慎重さを欠く運転方法にも問題がある。つまり河野は、B車を運転して東西路から南側へ右折態勢に入るとき徐行すべきであるのに、時速三〇ないし四〇キロメートルのまま進行していて、そのまま右折するつもりであつた。もし徐行しておれば、急停車をしてもその衝撃は少く、原告が負傷せずに済んだか、あるいは軽症であつたものと考えられ、これが本件事故と関連性があることは明らかである。従つて、右河野に全く過失がなかつたとはいえず、むしろ、現場における徐行義務違反の過失があつたと認めざるをえない。(なおちなみに車輛側双方の過失の割合を示すと、A車が九〇パーセント、B車が一〇パーセントとするのが相当である。)
ところで、被告緑風観光は、訴外河野の行為は、不可抗力ないしは正当防衛に該当するというのであるが、自ら正常な運行をしたうえでなら不可抗力等に該当する場合もあろうが、右認定したとおり事故の状況からいずれもこれを認めることはできず、他の免責事由については判断するまでもなく、同被告の免責の抗弁を採用することはできない。
四、損害
1、療養雑費 金三九、〇〇〇円
2、逸失利益 金一六八万円
原告は現在三六才であるが事故前七尾市和倉温泉の和倉トルコセンターにトルコ嬢として勤務し一か月二五日稼働して、月収約二五万円程度を得ていたこと、収入のうち金一五万円は客からのチップで、いわゆるスペシャル・サービスによるものである。事故後昭和四三年一二月末まで欠勤し、昭和四四年一月から出勤するようになつたが、まだ頭痛、右頸筋硬結、外傷性ノイローゼが後遺症としてあり、一月のうち休むことも多い状態である。ただし通院回数は、かなり減り、一週ないしは二週間に一回の割合となつている。<証拠>(原告本人尋問の結果)
ところで、原告の月収は、相当高額であるが、それは温泉地のトルコにありがちなスペシャル・サービスと称する売春行為による対価を含くんでいるからである。このような収入があつても、元来公序良俗に反する行為によつて得たものであるから、これを逸失利益として認めることは、到底許るされず、原告の月収はこれを除外した金一〇万円と認めるのが相当である。この点について、証人香川潔の証言によつても、一般にトルコ嬢の月収が金一五万円位になるとのことであるから控えめの算定としてこれを肯認しうる。そうすると、原告の休業損は、事故後昭和四三年二月二一日までの分六か月一〇日とみて、金六三万円(一万未満切捨)と認め、同月二二日から同年一二月末までは一〇か月分として、中間利息を控除すると、
一〇万×九、七七七三=九七万円(一万未満切捨)となる。
さらに昭和四四年一月以降は、原告が就労しはじめたことやその症状も後遺症として固定してきたものと考えられ、これを自賠法施行令の後遺症状の等級別表によれば。少くとも第一四級の「局部に神経症状を残すもの」にあたると認められるから、事故から三年目まで(昭和四五年七月)五パーセントの労働能力の喪失を認め(昭和三二年七月二日労基局長通達)
一〇万×〇、〇五×(三七、三二三―九、七七七三)=八万円(一万未満切捨)以上合計金一六八万円を原告に生じた損害として認める。(藤本清)